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 『ジョゼと虎と魚たち』
監督:犬堂一心

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こんなすてきな映画に出逢ったの、はじめてだわ。


いま、観終わった直後で、興奮しすぎているので、多少ネタばれがあるかもしれません。


私が、言ったことを撤回したくなってしまうほど、すてきな作品。


私は「君」に会うために、こうして生まれてきたのだから、消えたいなんて、ぜったい言ってはいけないわ、って思った。


ああ、そこで、ねこ、だなんて、そこで、海、だなんて、そしてくるりの『ハイウェイ』だなんて、って、私の好きなものがあふれている作品だったし、ジョゼ、私もそう名乗りたいわ、って思った。


私がいまこのタイミングで出会ったのが、もう、ただの偶然を通り過ぎてしまっているように感じるぐらい、
レビューになっていなくてごめんなさい、
それぐらい、ほんとうに大好きです。


また観ます。
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"明治安田生命Presents KAZUMASA ODA TOUR 2008 今日もどこかで"
会場:横浜アリーナ
日にち:8月12日
出演:小田和正

--

父がたまたまチケットが当たったらしく、母とふたりで行ってきた。

小田和正の曲もオフコースの曲もほとんど聴いたことなかったし、とくに好きな曲もなかったけど、せっかくだから行ってみよう、とおもって行ってみただけだった。
でも、すごいよかった、行ってよかった。

アリーナ席でしかも、目の前に花道があった。
だからこっち来たとき、表情までしっかり見えた。

しかしああいう会場に行くと、自分もああやってひとつの作品を作りたい、って、いつも思う。
中高のころは地元の公会堂でのイベントスタッフやってたり、大学入ってからは学生団体でイベントに携わったり、そういうのが私好きなんだなあとおもう。
スタッフを見てしまうし。


内容のはなし。

私がふだん聴いているような音楽とはぜんぜん違った。
なんだか自然に、歌詞に耳が向くような。
そして歌詞を聴いていたら、これまた、私がふだん聴くようなのと違って、大きくて、包容力があって、優しかった。
そんな歌を歌っている小田さんをみて、こういう大人にならなりたい、って思った。

私も心が成長してあんな詞を書けるようになるのなら、はやくそうなりたい、とおもった。大人になることが、あのような大きな優しい詞が書けるようになることであるなら、それはすごくすてきなこと、私も早くそうなりたい、って。

世の中には、すてきなおとなが少ないとおもった。
だからすてきなおとなである小田さんを見て、感動した。
ああ、すてきな大人だったなあ。


『言葉にできない』という曲は、ものすごくいい曲だった。
CMでしかたぶん聴いたことなかったけれど、すばらしかった。

 あなたに会えて ほんとうによかった
 嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない

こんなに少ない言葉で、こんなに心を動かすことができるのかって、驚いた、感動した。
聴いていて、自然に、何も考えなくても、涙が出た。
ものすごく美しい言葉だ。
 『白仏』
辻仁成著
文春文庫

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著者の祖父をモデルとして、事実に即しながら書かれた小説。

死とは何か、人間は、いずれ死ぬのにどうして行きなければならないのか、それを、正面から書いている作品だとおもう。
前回書いた『サヨナライツカ』は、愛について書いていたけれど、こちらは死について、生について。
どちらも、逃げることも横道にそれることもせずに、真正面から書かれている、と思った。
そういう作品に、あんまり出会ったことないな。


時代や土地の背景が詳細に描かれているから、リアルさがある。

そこには、古臭さというか、年季というか、そういうものがあって、いまどきではない。
よくあるような、現代の闇だとか少年たちが抱えるなんちゃらだとか退廃的なセックスだとかそういうものを扱った話じゃない。
それが、温かみを出し、ずっと昔から変わらずに抱かれ続けてきたであろう本質的な疑問を鮮やかにし、時間軸の推移をなだらかにしてる。


生きることは、簡単なことじゃない。その意味を見つけることだって、簡単にできるわけない。自殺というのはラクな選択。それでも生に執着しなければならない。それは人間だから。死ぬまで生きてこそ、そうやって必死に生きようとしてこそ、生きるとか死ぬとかそういうことを語れるのかもしれない、とおもった。


もう少し成長したらまた読もう。
つぎは『太陽待ち』を読みたくなった、一度読んだけど。
 『サヨナライツカ』
辻仁成著
幻冬舎文庫

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日本に住む彼女との結婚を目前にしたタイに住む日本人男性が、結婚前の数ヶ月、タイで出会った女性と激しく恋をし、別れ、再会する、物語。

愛とは何か、愛するとは、愛されるとは、そういうことを真正面から考えざるを得なくなる、物語。

ただ好きなだけではだめなのか。
相手は一人でなくてはいけないのか。
愛しあっていても離れなくてはならないのか。
結婚とはなにか。
結婚しても、心は自由だろうか。
一生の別れと覚悟した人との再会は美しいのか。
愛していると言ってはいけない関係は正しいのか。
過去とは決別すべきものなのか。

ひとを愛することに、決まったカタチなどいらないのかもしれないと思う。
ひとを愛すること、恋をすること、結婚すること、ただ一通りじゃない考え方ができる、物語ではないかとおもう。
だけど苦しい、苦しい話だ。
自然に流れる涙はきっと、神の視点の感動の涙ではなく、沓子や豊に同調させられてしまった自分自身の悲しみや懐かしみ、苦しみ、喜びの涙だ。
 『愛をください』
辻仁成著
新潮文庫

--

私が辻仁成を好きになるきっかけになった本。
数年前、長く電車に乗るからと書店に寄って、たまたま目に留まって買った。



あるふたりの人物の手紙のやりとりだけでほとんど構成されている物語。
主人公が、文通の相手に励まされて、ときどきは相手を励ましたりもしながら、絶望していた人生の中に幸せを見つけられるようになっていく話なのだけど。

私は、なんだかこの主人公"李理香"の絶望がわかってしまうような気がして、だけど必死で希望を探す姿も、ああ、私にもこういう部分が、って思ってしまって、小説なんて多かれ少なかれどれにも、だれにもそういう部分があるから面白いのだろうけど、でも、辻仁成の作品に私はそれが多い気がして、例に漏れずこの物語の主人公にも、そのような感覚を覚える。
それが、苦しい。

そして、李理香が幸せを見つけたことを素直に喜べない読者の私がいるんだ、変な話だけど。



このふたりの関係が、どうも、私とあるひとの関係に似ている。
あるひと、とは、会ったことはないけれど私の多くを知っているひと。年上のひと。男のひと。
私たちの場合、文通ではなくてメールだけれど。
私たちの姿も無意識に重ねながら読む。
苦しかったり、かゆかったり、ほんとうに自分を見ているようであったり。


タイトルにもある、愛、という言葉の意味がわからなくなったら、その存在を疑わずにいられなくなったら、この本を読みたいとおもう。

ただ、一回目に読んだときほどの衝撃はなくなっていた。
私の感性が変わったのか、慣れてしまったのか、わからないけど。



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